百点な日日

ガラス張りの心の陰、鏡にうつる自分

コロナ騒ぎの跡

‪4月以降、驚くほど行動範囲が狭くなった‬。

‪一日のほとんどをリビングで過ごして、家族の買い物に付き添い、祖母の運転手をたまにする。

‪オンライン授業、バイト、バイトその2と生活が続く。

‪自由な時間が多くて窮屈な生活になった‬。

‪社会人になるとびっくりするくらい出会いないよ〜というのは、今の感覚に近いのだろうか‬。

いつも通りの場所に行って、いつも通りの人に会って、いつも通りのことをして、時間を消費していく。

 

少し前、5月の終わり頃、全てが嫌になって逃げ出したく投げ出したくなり、大学院の研究計画書を放棄した。留年が確定した。

一年間浪人をして大学に入学したわたしは、ここで留年が確定したことにより、標準レーンからは2年間遅れることになる。

大学に入学してからは、真面目に通い、テスト勉強をして単位を取り、同じバイトを続けた。

毎日を平坦に過ごした結果、学位記のみが残った。

成人式にも行かず、卒業式にも行かず、学園祭にも一度も行かなかった、どうしてだろうか、大学で知り合った人とは学外で会ったこともない。

そして、4年間続けたバイトはコロナ騒ぎであっさりと切られ、無くなってしまった。

苦笑いでやり過ごしたわたしは、ここで本当にバイトが無くなったのだが、食い下がったバイト仲間の人は無くなったバイトを続けているらしい、情熱すらわたしには足りていない。

一体わたしは今まで何をしてきたのだろうか、こんな生き方しか出来ないのなら死んでしまいたいと何回も何回も何回も思うが、指先から血を出して今日も生きている。

どうして生きているのかわからない。

月命日に対話する祖父に聞きたい、わたしはどれほどダメな、出来損ないの孫なんだろうか。

家族に孝行しないといけないという気持ちはある、けれどお金は大してない、精神も弱い。

大卒フリーターとなることがほぼ決まったわたしは果たしてどんな人間になれるのかな。

はじめてのブログ、こんなことしか書けず、文字数も少ない。

すべてのコンプレックスが、ただ悲しい。

悲しむことしか出来ない自分が気持ち悪くてまた動けない。ダメすぎる。

兄のように生きたかった。