百点な日日

ガラス張りの心の陰、鏡にうつる自分

日記

文章を書こうと思ったとき、あーだこーだ考えながら書いてしまうから、嫌文章になってしまうのかな。

ここ数日、一応日記を書いたのに、どれもこれも嫌で、自分で読み返してもなんじゃあ〜うざ〜となったので公開せず消しちゃった。でも、それじゃだめですね。嫌な部分から逃げないようにしよう。

ツイッターで連投するときのような、そんな精神状態になるから、嫌文章になるのか。

気持ちを変えて、日中に書いてみます。

とは言っても、結局だめになっちゃいそう。あらら。

今日は朝から、外で猫が鳴いている声で目が覚めた。

こっちにおいでと言うと、シャーーって、警戒心バチバチの牽制を食らったが、諦めずに見つめると少し近くまで来てくれた。黒猫ちゃん(君かも)かわいかったな。癒してくれてありがとう。諦めないこと、大事ですね。

外を見ると、花が咲きたがっていた。がんばれ、咲かなくてもいいよ、無理しなくても。でもがんばれと思った。押しつけてごめん。

そのあと、お昼ごはん食べるときに少し怒られてしまった。あー、まただ、また失敗した。まただめな娘。

自分なりに考えてすること、だいたいいつも怒られてるから、わたしの考えることってこれっきしだめなんだろうなと、少し悲しくなった。

中学生のころ兄が進学でいなくなって、高校生のころ引っ越しで父もいなくなって、いつの間にか、父のやっていたことをわたしがするようになった。母の嫌いな食べ物は食べるし、食べきれない量もわたしが食べるし、運転するし、荷物も持つ。全部自分が子どもの頃にやってもらっていたことだから、そうか、そうよね、大人になってきたんだから当たり前だ、やらなくちゃ、と思っていた。いまも思っているかも。でも、この役割はいつまで果たせばいいのだろうか。両親が亡くなるまで続くのかな。ってことは40歳とか50歳とかになるまで?そのあと急に一人になるのか。そう考えると、白黒になってくる。なんでだよ、当たり前だろうが、と口の悪い天使が言ってくる。親孝行、するのがたぶん当たり前で、学費も生活費もずっと面倒見てもらってきたんだから、不自由なく過ごしてきたんだから、今度は自分が返さなければならないとわかる。わかっているのに白黒になって、なんでかな、“当たり前“の良い娘になりたかった。どうしたらなれるのだろうか。

思い出すと、ずっと前から良い娘ではなかった。大事な家族会議でなぜか小学生のわたしの意見が通ってしまったり。あのとき、怖かったけれど母のこと止めるべきではなかったのかな。後悔先に立たず。性格や見た目が父似のわたしがなぜ家にいて、母似の兄がいなくなってしまったのかな。ほんとうに、わたしでごめんねと思う。そう思うなら自分の気持ちを捨ててよ、って話なのにな、それもしない。何もしない、なんだこいつ!いつまでも昔のこと引きずって、なんだこいつ。

自分のこと、嫌な人間だと思うことで、本当にだめなところから目を逸らす。ずるいことをする。だめだと考えることで、本当にだめな自分から逃れて、安心している。それはよくわかっているのにな、耳が痛い。

またつらつら綴ってしまった。あーーーーー。ここでも、後悔先に立たず。でも、もういいや、今日はこれでいいや、また消すことになる。次からは良くない文章書かないように、できるだけ、心がけよう。

よし、自分の好きなところも考えとこう、プラマイゼロに。好きな色のトーンが定まっているところ、いいよ。花が好きなところもいいよ。あとは、あとは、うーーー、でもいいところ二つもあってよかった。

よかった。

やっぱりこんな文章はあんまり読まれたくないから、今度から気をつけよう。日記をツイッターみたいに使わない。気をつけて、日記だぞ。