百点な日日

ガラス張りの心の陰、鏡にうつる自分

【昨日の日記】ことばの流れつく先

昨日の夜、一生このリビングにいるんじゃないかと不安になった。そんな小さなことで、泣くことしかできない自分が滑稽で笑ってしまった。声出そうなくらい笑った。耳に涙が入っても、構わずに笑えた。あーーおもしろかった。ふと我に帰った。

寝床に着くと5分で寝れていいよね、といつも言うけど、眠らずに天井を見るのが好きなんですよ!あなたの知らないわたしもいるんですよ!参ったか!えへん

天井を眺めるのが好き。最初は暗くても、目が慣れてだんだん見えるようになってくる。天井の木目を見たりしながら、新聞配達のバイクの音を聞くのが好き。

昨日は大雨だったので、今日祖父のお墓参りに行った。故人との対峙は、自分との対話だ〜と思った。おじいちゃんと話すことば、言っておかないといけないこと、自分の状況を報告するには自分と対話しなければならないな。

夜になって、死にたいと言う人の死にたいは額面通りの意味ではなく“甘えたい“や“構ってほしい“が意図されていて…という趣旨の文章を見た。そのことばが正解なら、自分は誰に甘えるんだろうか。たぶん、さっきの文章は、金銭的に甘えたいの“甘えたい“ではなさそう。精神的に寄りかかりたいということ。

甘えたいひとが決まっている死にたいはどこかに漂着しそうだけど、自分のはどこに着くのか。ぷかぷか浮いてるのかな。マリオに出てくる魚みたいでかわいいかも。

今日も思考がぷかぷか漂流している。ぼーっとしてないではやく臓器提供でもして社会の役に立ってください。そのためにも健康でいて。