百点な日日

ガラス張りの心の陰、鏡にうつる自分

ほんとうにひさしぶり

ひさしぶりに書いてみる。

なんだかんだ就職して3ヶ月くらいが経ったけれど、生きるために必要のないこと(?)を考える余裕があんまりなくて、つまらない人間になってきたと思う。

もともとが面白い人間だったのかはわからないけど、とにかく文章を書かなくなってしまった、だめだ。

それなりに早く寝て、死にたくて眠れない夜もなくて、朝になったら起きて、夕方までなんとなく過ごして、夜になって、また眠る。

月末になったら給料が振り込まれて、それなりにお金を使うけど貯金も増えていく。

普通に生きている。良いことっぽいけど、なんとなくつまらない。

どんどんどんどん空っぽになっていく。

あの頃と比べると何も苦しくないけれど、苦しみすらも感じていない、生きてる?

わたしは、生きるために死にたい夜も欲しいのかな。

おやすみなさい、また今日も普通に。

【昨日の日記】またこんなこと

母はわたしの女性性を消費する。それがずっと気持ち悪くて、それがずっと嫌だ。たとえば、一緒にお風呂に入らなければならないこと、体に触れてくること、容姿について何かと言ってくること、嫌だ。イライラしてしまう。こんなことでイライラする自分も嫌だし、状況を脱しようとしない自分も嫌だ。言われる通り見た目も嫌いだし。結局は自分のことが嫌、自分のことがとても嫌い。

でも、ひとりでお風呂に入ると言っても通らない、ひとりで寝るのも、部屋も。納得させられる理由が必要で、納得させられる理由は出せなくて。何にしてもそう、理由はどこにあるのか、宝探しみたい。本当にこの世に存在するのかもわからないのに、信じて探し続ける、すこし疲れてきた。

自分の中の女性がぜんぶ死ねばいいのに、と思っても、思うだけでは死ぬ訳もない。死ねと思うくせに、スカートやワンピースを着るし、レースのブラウスも好きだし、お化粧もするし。頭おかしいのかな。これを女性と考える時点で自分の考え方は古くて腐っているのかもしれないけど…

自分の中の女性が気持ち悪くて、恋愛もつらい。好意を持ってもらったとしても、自分への嫌悪感が勝ってしまう。女性を見せている自分が気持ち悪くなる。まず母になんて言って出かけるのかって壁もあるけど、ふたりで過ごす微妙な空気、乾いた笑い、うまくできない会話、だめだ。でも、本音ではさみしい気持ちもあるし、血の繋がりのない他人が好きになってくれるなんていいなと思う気持ちもある、自分が自分のことを一番嫌いだから。いっときだけだとしても、死ぬまで一生だとしても、誰かのパートナーとして誰かを支えることができるって、誰かの役に立つことができるって、どんなにすばらしいことか。それこそ、生きていてよかったと思えそう。まだ誰のことも支えていない。自分のことすら支えられない。つくづくだめな人間。

わたしの人生どうせ何も変わらない。変え方がわからない、がんばり方、こころの持ち方、賢い生き方、お利口のなり方。いや、すこしはわかっているのに、実行ができない。そりゃ何も変わらないよ、馬鹿か。このまま公務員試験に受かったら、もっともっともっと何も変わらないよ。

死にたいと思いながらこの先あと何十年も生きるのなら今死んだほうがマシなのかな。自殺することが一番の復讐だと思う。でも復讐したいのか、復讐ということばを使うほど憎んでいるのか、わからない、好きなはずなのに。

母から何回も鬱病とか精神がおかしいとか言われてきた。どっちなのかな。保険証は自分の管理下にないし、どこに行くにももっともらしい理由と説明が必要だし、ひとりで外出するいい感じの嘘も思い浮かばない、かと言って正面から精神科を受診してみたいなんて絶対に許されない。どうにもできなくてそのたびにネットのセルフ診断をする。こんなの、気持ちが落ち込んでいるときに答えたらそりゃみんな鬱でしょって質問ばかりで、例にも漏れず自分も鬱の傾向と出る。結果がわからない。

わたしってどれくらいおかしいの。みんなこんなもんで、これくらいが正常なのかな。自分のことばかり悩んで、悩んでいる自分に悩んで、自己愛マックスで、むしろ脳内お花畑のハッピー野郎なのか。

お前は両親とも揃っていて大学も出してもらってるんだからこんなことくらいで泣くなよ。恵まれた環境なのに悲劇ぶるなと頭の中が言う。本当にはやく、はやく自分死んでほしい。

【昨日の日記】自力で大丈夫になろう

『サイコだけど大丈夫』というのはいまわたしが観ている韓国ドラマのタイトルです。英題は『It's okay to not be okay』で、日本語にすると大丈夫じゃなくても大丈夫ってところなのかな。ドラマの中に出てくるOK精神病院の、なんて言うんやろう、家訓じゃなくて社訓でもなくて、院訓?のひとつみたい。

さらっと言うと自分の人生を諦めたような保護士ムンガンテと、社会性のない童話作家コムニョンの物語ですが。

これ、まずはとにかく主演ふたりがきれい。ルッキズムかましてごめんなさい、まじでキムスヒョンとソイェジがめちゃくちゃきれい。ふたりは顔が似ている気がする。

でも、最初はたしかに美男美女で見始めたけれど、いまは内容(と、あとムニョンのキャラクターにも…)すごく惹かれている。話が進むにつれ、だんだん、ムニョンの心には水が流れてきて、ガンテの固まった安全栓は緩んできた。物語はちょうど半分まできていて、このあとどんな風に話がまとまっていくのかな、たのしみ~。

わたしがいままでの話で一番ぐっと来たのは、自己犠牲的な行為は誰も幸せにしないよ、という気づかせだった。毎回、うっとくる気づかせとか変化がある。そこに惹かれている。

ただ、ちょっと待って!自分に酔っているようで、なんかちょっと、もう少し距離を取って接しなければと急に現実に戻る。フィクションで自分をカウンセリングしてるの痛すぎ、笑えてくる。現実をみて。

自分は想像以上に痛いロマンチストで夢ばかり。コムニョンとムンガンテが来てくれるのを待つ、迎えにも行かずに。

現実をみよう。現実は画面の外、外をみる。

【昨日の日記】神様クラブを聴こうっと

今日は頭が痛かった。薬を飲む、光が眩しくて目がチカチカする。

雨ずっと続いてるな~。最近は雨の音で目が覚めている。大寝坊よりいいねと謎のポジティブ思考が発動する、雨は嫌いじゃなくて。ぼーっとできるから嫌いじゃない。

石田ゆり子さんのフォトエッセイ『LILY'S CLOSET』を読んだ。あ~〜素敵な女性と感じた。お洋服(お買い物も)好きなのがとても伝わってきて、こんな大人になりたいと思った。”卒業ファッション”ってことばもよかったなあ。今の自分が好きな服を着たらいいよ、また年を重ねると似合う服も好みを変わるから今でいいよ、と言ってもらっているような(と勝手に解釈をし自分の浪費を正当化してみた…うう、すみません)。

透明人間なのを他人に悟られまいと、そんな気持ちも込めてお洋服を着ている気がする。好きな服をちゃんと着ているあいだはちゃんと生きている感覚になる。へんだな。

とびきりテンションが低いわけでも、嫌なことがあったわけでもないけれど、むしろ良い一日だったように思うのに、精神が芳しくない。はやく自分を殺して欲しいと願いつつも、いま死んだらこれが遺書としてのこってしまうかもしれないという絶望に心を囚われている。

ブログも、ツイッターも、ぜんぶ消さなきゃ、傷つけたくない。良い娘と思われたいだけでしょうが。

祖母のことを悪く言う母のように振舞いたくないと強く願いながら母の悪口をインターネットに垂れ流す、救いようがない。救いようがないとか言って逃げるな。

 

【一昨日の日記】使ってみた日記

豆板醬使ってみた。

ニコニコ動画か?という書き出し。

今日はほんとうに何していたっけ、と思い出せないような一日だった。文章めちゃくちゃ短くなるなと思いながらも筆が進まない。パソコンなんですけどね。

エノキと卵の炒め物を少し拝借して、豆板醬で味をつけてみた。見た目はなかなかそれっぽい感じの仕上がりに。いつものオイスターソース炒めとは少し違う中華風になった、実食に期待が膨らんだ。

食べて気づきましたが豆板醬のみで味付けてもしょっぱからいだけだった。みりんとかが必要なんだ。だがしかし味音痴なのでしょっぱからいのもアリなのでは?とかおもってしまった、たぶんだめです。

おやすみなさい。

【昨日の日記】調味料を買う

いつも辛いものが食べたくて、とは言っても激辛は苦手なのだけど。

一味とか七味とか山椒とか胡椒とか、香辛料をプラスするだけでは少し味気なくなってきたので調味料を買ってみる。生活の大進歩、えらいね。

唐辛子の辛味と旨味を兼ね備えたものを求めているので、豆板醬とコチュジャンに目を付ける。”ジャン”と付くのが辛くておいしいやつというイメージだけで23年間生きてきました。どのジャンを買うべきか調べてみる。

おやおや、まずそもそも”ジャン”と付くものすべてが辛いものではないようです。醤油や味噌のような大豆を発酵させた系って意味みたい。無知!

ほえー、豆板醬は中国発祥、コチュジャンは韓国発祥だそう。うう、無知…

おー、豆板醬はそら豆で、コチュジャンはもち米なのかあ。てへへ

どうやらコチュジャンの方は少し甘味があって、豆板醬はコクがあるみたい。選ぶのむずかし~。

うーんどうしたものか、と悩みましたが、コチュジャンは豆板醬の13倍塩分が含まれているというタレコミを発見し豆板醬を購入しました。あんまり知らないけど塩分の摂りすぎは良くないですもんね。

さて、今日は晩ごはんを食べて帰ったので使うタイミングがなかった。

あしたにでも使ってみようと思います。

【昨日の日記】好きな色を好きでいたい

思いがけず本屋さんに行ったので、ちらちら見た。

デザインノートを買いました。文字選びと文字組みの回。自分みたいな超初心者にもすごくわかりやすく、違いが示されていて勉強になったしおもしろかった。おもしろくてくるしい。

調べてた本あったのに見るの忘れちゃったな。

かわいいパッケージのMONOがあったのでそれも買った。好きな色を集めてしまう。ティファニーブルーのような、ミントカラーが好きです、水色も好き。子どもの頃からずっと好きなのは黄色。

せっかく本屋さんに行ったのに、大して書くことがない、悲しい。

でもたぶん書くことがないわけじゃなくて、ほんとうはあるのに、この文章を作っているときに浮かんでこないんだと思う。記憶が飛んでいるみたいな感覚がする。今日の自分は何を考えていたのかな。

そういえば記憶とリンクした夢をみた。最近はこのタイプも多くなってきて、現実と区別がつきにくい。起きたらめっちゃ汗かいてて嫌な感じ。たくさん寝言を言っているそうです。いつものふつうの夢なら、夢だな~って気づけたりするのにな。

あー、書いている内容が、空っぽ。結局書くことがないよ〜に収束する、何か見出そうとするも結局。

最近ずっと雨で頭が痛いな、思考はぼーっとしている。落ち着け、と思い肩をたたく。